

☆1979年スタッツブラックホークです。
日本初年度登録平成5年 型式 不明
車検書記載 製昨年:54年 7450cc
長さ:575cm幅:198cm高さ:138cm
走行距離はkmではなくマイル表示です。
希望落札価格: 4,000,000 円
オークションは済んでいますが
興味のある方は↓↓↓↓をクリック。
http://page8.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/h40893504
エルビスプレスリーのスタッツブラックホーク

1977年8月15日深夜エルヴィスが
最後に運転した4輪車
1971年にエルヴィス最初のスタッツは販売用に
製造された最初の車であると言う点で特別である。
本来はフランク・シナトラが注文していたのだが、
エルヴィスが最初に車を入手できるように
販売員を丸め込んだという。
この車は1972年7月、カルフォルニアで洗車の為に
レンタル業者のドライバーが運転していた時、
何台もの車が巻き込まれる事故にあい、
ひどく破壊された。
エルヴィスは部分的に修復するが、結局は
グレースランドの裏に置いたまま、
それっきり乗らなくなった。
1989年、この車はエルヴィス・プレスリー・
オートモービル・ミュージアムを
オープンするのに先立って完全修復された。
(※自動車マニアの間ではレストアと表現する)
230馬力1973年型スタッツ・ブラックホークVは
エルヴィスが1974年9月に2万ドルで購入した。
内装は赤のレザーで、いたるところに
金メッキの縁取りを施してある。
1977年ツアーの次の行程のために
メンフィスを発つ少し前の8月15日の夜遅く、
エルヴィスはこの車を運転して歯科医へ行き、
翌8月16日、深夜を少しまわった時間に
グレースランドに戻ってきた。
そして、その後12時間もたたないうちに
死んだのである。
最後にグレースランドの門をくぐったとき、
彼はこの車のハンドルを握っていたのである。
スタッツ・ブラックホークとは…
海外専門サイト↓↓
http://www.drive.to/stutz

元クライスラーのデザイン・ディレクターであった、
ヴァージル・M・エクステナーのデザインした
ネオクラッシックカーがこのスタッツ。
戦前のルマンでも活躍した往年のアメリカの
名車と同じ名前だった。
ニューヨークの銀行家、ジェイムス・D・オドンネルが
エクスターの温めた構想に共感して出資し、
スタッツ・モータース・オブ・アメリカを
設立したのが69年だった。
GM製のシャーシーを使用したが、それをイタリアに
送ってボディを加工し、米本国へ空輸で
送り返すという贅沢な方法で作られ、販売された。
当然少量生産だが顧客には中東の王族や、
サミー・ディビスJr、モハメッド・アリなどの
有名人が名を連ね、エルヴィス・プレスリーは
4台ものスタッツを所有していたといわれる。
ボディはクーペからセダン/リムジンまで
さまざまなバリエーションがあったが、
標準的なクーペのブラックホーク( E)では、
ポンティアック・グランプリのシャシーを用いて、
ヘッドランプ、エクゾースト・パイプ、
ランニングボード、スペアタイアなどを露出させた、
クラシカルでくせの強いスタイルが特徴であった。
かつてクライスラーの華美なテールフィンを
手がけたエクスナーらしいが、特にヘッドライトや
その周辺のデザイン処理は、60年代にデザインした
インペリアルなどによく似ていた。
ポンティアックの7.5リッターが詰まれ、
78年からは6.6リッターとなった。
車重は約2.5トンもあり重かった。78年には
コンバーティブルのベアキャットや、
セダンのWポルテが加わった。74年まで
キャデラック・フリートウッドのシャシーを
ベースとしたリムジンも作られたが
79年頃にはホイールベースが4.37mにもなる
ロイヤル・リムジンもカタログ・リストに載っていた。
サウジアラビアのカリド国王のリムジンは、
ルーフ上に王座がせりあがってくて
360度回転する特別機構を持っているといわれた。
スタッツは85年(88年の説もある)まで存在した。